誰の役に立つわけではないけど、記憶力が悪くて忘れてしまいそうなので、2011年3月11日のことを記録しておきます。いわゆる自分のためのメモで、数年してからも読むことを前提にしてるので冗長的に説明的に書いてます。
2011年3月11日は金曜日だったので、地震のあった午後2時46分は普段なら会社のある六本木にいる時間ですが、その日は家にいました。その週の火曜日に少々季節外れのインフルエンザを娘からもらい、会社を休んでいたからです。
インフルエンザは発症して四日目だったのですでに熱もなく、体も辛くなかったので近所で嫁さんと買い物をして、家に帰ったのが午後2時30分ごろで、申し込んでいたクレカが届いたので必要な手続きをパソコンでしてました。
そして、午後2時46分に地震が発生。
第一印象はもっと大きな地震の前触れではないかということでした。(これを書いてる今でもこの感覚があります。)また、数日前に宮城で大きい地震があったということも思い出して頭をよぎりました。
地震が起きると逃げ道確保のために、家のドアを開ける習慣があるので、この時もドアを開けに玄関に向かいました。いつもは、その習慣を大げさと言って、笑う嫁さんもこの時も笑っていたかは覚えていません。ドアを開けるとマンションじゅうがギシッギシッと軋む音が聞こえました。
そうこうしてるうちに、家の中では立っていられないほどの揺れになり、食器棚からはいくつかの皿やグラスが落ちて割れています。また、物置には数日前に買った水のダンボールが落下したりと派手にドタバタしてます。とりあえず、これ以上の落下を防ぐために、テレビを抑えていました。よく地震の様子をテレビで映すときに、テレビ局の映像が流れると局内のテレビを抑えてる人がいますが、あんな感じです。その時はあまり気づかなかったですが、後で報道をみると地震は5分ほど揺れていたみたいです。
揺れがおさまってマンションのベランダから外を見ると、ちょうど幼稚園の迎えの時間だったのかたくさんの親子が外に立ち尽くしています。それから、30分くらいして再度見ても余震が多かったせいもあるのか、たくさんの人が外にいました。
改めて家の中を見てみると、タンスが二つ見事に倒れていました。地震でタンスが倒れたのは初めてです。タンスを直すのは余震が少なくなってからにすることにして、まずは嫁さんが割れてしまった皿や瓶の後片付けをしていました。この間、自分はオタオタするばかりで嫁さんの働きぶりを見ていただけでした。反省。
片付けが一段落した後、保育園に行っている娘を迎えにいくことにし、保育園のそばに住んでいる義母の元へ。義母の家は被害もなかったようで落ち着いていました。迎えに行った娘もちょうど保育園でお昼寝の時間だったらしく地震を怖がることがなかったのは幸いでした。
家族がそろうと落ち着くことができたので、テレビやTwitterで情報収集を始めたのは手段は違うにせよ他の方と同じだと思います。
家族の状況を心配することもなくすぐに会うことができたのは、個人的な状況としては幸運だったのだと思います。いわゆる、帰宅難民にならずにすんだことも含めて。ただ、次の地震がいつあるか分からないので、心して行動したいと思います。
今回の地震でいろいろ思うことはありましたが、そのことについてはまた別の機会に触れたいと思います。